ドベルダン!
ハクナマタタ村一世です!セルビア人の友人の結婚式に参列するために東欧セルビアに初上陸しました!
本記事ではセルビア西部の町ウジツェ(Uzice)について紹介していきます。
旅程
- 2019/9/26(木) 羽田→ドバイ→ベオグラード(Belgrade)
- 2019/9/27(金) Belgrade→ヴァリエヴォ(Valjevo)
- 2019/9/28(土) Valjevo→ディブシバエレ (Divcibare)
- 2019/9/29(日) Divcibare
- 2019/9/30(月) Divcibare→Valjevo
- 2019/10/1(火) Valjevo→ウジツェ(Uzice) ←本記事はここ
- 2019/10/2(水) Uzice
- 2019/10/3(木) Uzice→Belgrade
- 2019/10/4(金) Belgrade
ウジツェについて
ウジツェ(Uzice)はセルビアの首都ベオグラードから南西へ約150kmにあります。
ヴァリエヴォで一旦インド留学の友達と別れて、一人で電車に乗ってこの街に来ました。
個人的にはこの町が大好きになって、セルビアに住むならこの街だと思いました。が、セルビア人の友達にそれを言うと「Why, Uzice??!!」と信じられないという顔を何度もされました笑
なぜ住みたいかというと田舎すぎず、都会すぎずで生活感が溢れて活気がある街だから。
特に幼稚園、高校なども結構あって、子どもがたくさんいて活気がある感じがしました。
街の中心にあるpartisan squareでは昼から夕方にかけて幼稚園か小学生くらいの子どもたちが遊び、親同士が仲良く喋って子どもたちを見守る様子になんともいえない平和を感じました。
ヴァリエヴォと同様に一軒家の屋根はたいてい赤色で統一感があり、可愛らしい感じ。
自然も豊かで、緑が多いですし小さな川もあります。
セルビアは内陸国と聞いて、何となく水がない乾いたイメージがありましたが、多くの街にはこうして川が流れていて、当初抱いていたイメージとは真逆の印象でした。
そして、Uzice周辺にはたくさんの観光資源があり、uziceから現地ツアーが敢行されています。これは住むときに重要なポイントではないですが、セルビアを観光するなら絶対にUziceを拠点にしてほしいと思います。
タラ国立公園はボスニアとの国境沿いにある国立公園。
セルビア映画「LIFE IS A MIRACLE」の撮影に使われた街、モクラゴラ。
美しいエメラルドグリーンの川にある岩の上に建てられた家。
1941年のドイツ軍との戦いの場となったKADINJACAにあるメモリアルパーク。
闘いの場となり、市民の尊い命が奪われたという過去が私の生まれ故郷である広島と重なるところもあり、このウジツェの街に少し感情移入したのかもしれません。
私が行ったのは上記だけですが、ウヴァツ(Uvac)など他にも周辺には観光スポットがあります。
Uziceを街歩き
ウジツェの街はとてもコンパクト。
街から歩いて行ける観光スポットの一つがStari grad。
Stari Grad, Uzice
Stari Gradとはクロアチア語で「古い街」。日本語でいうと「古都」的な感じで固有名詞ではないので、Stari Gradと名付けられた遺跡などが世界でたくさんあるようです。
ウジツェのStari Gradは12世紀から13世紀の間に建設され、オスマン帝国支配後、19世紀までトルコ人が住んでいました。
現在では城塞(citadel)部分が残骸のように残っているだけで、内部は当時人が住んでいたとは思えない様相でした。
右側に進むと塔内部に入れるようでしたがヤバめの何かが出そうな空気がぷんぷんしていたのでさすがにやめました。
Stari Grad, Uziceにはパルチザン広場(Partisan Square)から徒歩で15分程度で行けます。
頂上から見るUziceの街並みは必見。
緑に囲まれた自然豊かでコンパクトな街並みが個人的に大好きです。
Stari Gradの真下にはセルビア、そしてヨーロッパで最初の水力発電所があります。
赤い屋根の建物です。私は入ってないですが中にも入れます。
セルビア人発明家のニコラ・テスラが編み出した電流の多層システムの原理を利用して電気を発生させていたようです。
操業開始したのが、なんと1900年。街灯を照らし、市民の生活に役立っていたようです。
ちなみにこの水力発電所の近くには完全に放置され気味のプールとウォータースライダーがありました(笑)
もう一つの観光スポットは、国立博物館です。
National Museum, Uzice
1941年にはチトー軍の本部がこの建物にあり、ある時期にはユーゴスラビア銀行としても利用されていたようです。
展示物は主に1941年のドイツ軍との戦いに纏わるものなど。個人的には博物館内の展示よりも裏にある軍需工場(Munitions Factory)跡地を見てほしいです。
人が串刺しになったオブジェの横にいかにも入ってはいけなさそうな緑色の檻がありますがここが軍需工場跡地です。
博物館の中の展示物を鑑賞した後にチケット売り場の人にありがとう、バイバイ的なことを伝えたら、この檻の中に案内してくれました。
1941年当時に使われていた軍需品の製造機などが置かれていました。
1941年ナチスの統治下となったセルビアでしたが、ここウジツェはパルチザンがUzice Republic(ウジツェ共和国)として解放し、ドイツ軍の傀儡国家となっていたセルビアからの独立を果たしました。が、独立のたった67日後に、ドイツ軍の急襲にあい共和国としての終焉を迎えます。
当時、ドイツ軍と勇敢に闘った(闘わされた)のはこの軍需工場で働いていた一般市民でした。
この軍需工場にはドイツ軍と闘った市民兵の遺影が飾られています。
冒頭で写真を載せたKADINJACA MEMORIAL COMPLEXは彼らを追悼する意味をこめて作られたものです。KADINJACA MEMORIAL COMPLEX については別の記事でも書こうと思います。
国立博物館から歩いて3分程度のところに市場があるのでそこにも行ってみるといいと思います。
Green Market
セルビアの市場に来て思ったのは、野菜のサイズが半端じゃない(笑)
写真であまり伝わらないですけど、ナスとかパプリカとかめっちゃ大きいです。
ぶどうをひと房買って食べてみましたが、みずみずしくて甘くておいしかったです!
ウジツェのオススメレストラン
別記事にまとめたので下記を参照してください。
ウジツェのオススメ宿
ウジツェの行き方
別記事で執筆中